2006/03/22//Wed.
これは2004年度の冬だか、次の春だかに書いた作品だ。
この頃高校二年の末。高校生活で何か色々楽しかった時期だった。
確かこれは、生物の時間に生き物の適応能力の話などをしていて、魚や蛙の水掻きが、水泳ばかりやっている人の手足にもうっすら出てくるというトリビアを思い出したのだった。
ここで得意の妄想が発動して、
「じゃあ鱗も生えたりすんのかな?」
…ここで原型が発生。まさかここまで悲劇になるとは思いもしなかった。
個人的にはハッピーエンドのつもりだったが…。
文系人間の私だが、このように生物の授業だけはちゃんと聞いており、ネタにする事も多かった。
それだけに入試で使わなかったのは悔しかったが…。
機会があれば、他のものも載せようと思う。
さてこの作品、実は卒業までの三年間で最も読者の支持を得られたものなのだが(友人のつて調べ)、まだまだ描写が拙い所が多い。
それこそ挙げるとキリがないが…そこはこれから努力していくということで。
如何でしたでしょうか。これからもお楽しみ下さい。では。
2006/03/22//Wed.
ケン兄の話はなかなかに信じ難かった。
そんなおとぎばなしみたいなこと、こんな村で起こることなのか。
しかし作り話として、この話はとても面白かった。
「へぇ…この岬にそんな謂れがあったんだ…」
「泣ける話だろう?」
そう言うと、彼は顔をくしゃっと歪めておどけて見せた。
こんな話を唐突に語ってみせるなんて、やっぱりケン兄はすごい。
私は心から感心していた。
空にはずっとミルクを零したような星空が広がっていた。
長い間ケン兄のはなしを聞いていたように思えたが、空からは時間の感覚が窺えなくて、私は少し戸惑った。
「もうそろそろ帰った方が良いんじゃないか?」
いつの間に立ち上がったのか、ケン兄が手を差し伸べてくれていた。
私は彼の妙に冷たい掌を握り、少しだけ寒気を感じた。
きっと、夜が深まったからだろう。
「一緒に帰ろうよ」
ケン兄はじっと、動かない。
「……いや」
細い声で呟いた彼は、静かにたゆたう海を観ていた。
星の光しか映さない夜の海は、闇という闇を塗りたくったようだったのを今でも鮮明に思い出せる。
でも、ケン兄の瞳は闇夜よりも暗くて、この世の終わりのようだと不安になった。
「おれはここに残るよ…」
ケン兄の指先、陸ではなくて海を指す方向に私の目線は吸い寄せられていった。
今逆らってはいけないように思えた。
手が離れたが、追いかけることが出来なかった。
私は海を見て、見つめて、気がついた瞬間には、ケン兄の姿は跡形もなく消え失せていた。
きっとからかっているだけなのだろうと思って、私は暫く岬の傍を探したが、痩せ気味の若者の姿はどこにも見当たらなかった。
仕方がないな、きっと一人で帰ってしまったのだという事にして、街灯も無い田舎道をそそくさと帰った。
鈴虫の声が四方八方に広がり、薄暗い感覚を満たしていった。
徐々に浮世話の余韻が消え、現実世界に戻って行く気持ちだった。
家に帰ったらいつの間にか夜中になっていて、疲れ切ってしまった私はすぐに眠りに落ちたのだった。
翌朝、大伯母さんにケン兄のことを訊いた。
どうせ自分で帰れたのだろうが、一応は気になった。
「伯母さん、ケン兄は?」
すると伯母さんはびっくりと困惑を混ぜ合わせた顔をして、こう返事したのだった。
「どうしたの、ケンイチは今年も来ていないでしょう?」
どうしたことだろう、それではあのケン兄は一体なんだったのか。
私はすぐさま岬へと向かった。
あの話の海魔のようにまだケン兄があそこにいるとは思えないが、あそこにしか手がかりがないのも事実だった。
田んぼの続く昼間の道が、どこまでも岬との距離を延ばしているように感じた。
早く、早く行かないと、と理由なき焦燥が私の脚を駆りたてていた。
清々しい蒼天に、切り立った岬が突き出している。
ぶれた視界に一瞬だけあるモノが見えて、しかしすぐに見間違いであるかのように消えた。
昨日と同じ格好をした痩身の男と、長い黒髪を垂らした鱗のある女の姿が、海に溶け込むように落ちて行った。
了
2006/03/22//Wed.
村には専属の行商人が何人かいて、その時もこの村で商売をする為にその一人が来ていたんだね。
彼はまめな人で、村民からの信頼も厚かった。
だから、その人が嘘をつくとは誰も考えなかったんだって。
その日彼はいつも市を開く場所へ駆けて来ると、大声で言ったんだ。
「海魔が出た!」
その場にいた人々は凍り付いた。
折角栄えさせた村が、生活が、得体の知れない化物に荒らされるかもしれないんだから、とんでもないと思うよね。
それを聞いた村長が号令をかけて、女性・子供・老人は家の中へ避難させ、男達と共に行商人の案内で海魔を退治に出掛けた。
行商人が海魔を見たのは名も無い岬の先端…そうだよ、おれ達が座っている場所さ。
夕日が沈みかけていた。
男達は急いで岬に向かった。
麓に着いた所で、彼らはそれを目にした。
皮膚を鱗に覆われた、水掻きのある海魔をね。
普通の人間と同じ黒色の大きい目から、尋常でない眼光が覗いた。
その姿形は何とまだあどけない少年だった。
そのことも男達を驚かせたけれど、そんなことよりもっと驚く事があったんだ。
海魔の少年の傍には、おれ達と変わらない外見の女性が、少年を庇うように立っていたそうだ。
男達は混乱し、統率が乱れてしまったけれど、村長にそれを纏める力はもうなかった。
その女性は年月こそ経てしまったけど間違いない、かつて彼自身が海に放り投げた自分の赤ん坊だったからだよ。
話が出来過ぎている?おれもそう思う。
でもそんな事もあるんじゃないかな。
「事実は小説より奇なり」ってやつだね。
女性は長い黒髪を強風にはためかせ、凛とした声でお父さんはどこ、と訊いた。
村長は咄嗟に名乗り出る事が出来なかった。
他の人間は村長の娘だなんて気付かないし、若い男は捨て子の事実さえ知らない。
彼女も赤ん坊だったから、父親の名前なんて覚えていなかったんだろう、他に訊きようがなかったんだ。
空が、刻一刻と赤から黒へ塗り替えられていった。
滞った空気が動いた。
海魔が一歩前へ進んだ。
男達が一斉に武器を構える。
女性の顔が一気に青くなり、すぐに押し戻そうとしたけれど、その前に無表情に少年が口を開いた。
「この人は、僕の母さんは生きている」
はっきりと、呻き声でも雄叫びでもなく、人語で、おれ達と同じように、喋った。
当時の村民には衝撃の出来事だった。
彼らには海魔が人間だという認識自体がなかったんだ。
何より、彼は間違いなく、女性を「母さん」と、呼んだ。
「母さんはこの村で生まれたんだろう?
でもここでずっと暮らすことは出来なかった。
捨てられたんだ、海の中に」
沈む直前の最後の光が、横殴りに少年を、その母親を、村長、男達を照らした。
少年の鱗と村長の白髪が、紅くきらきらと輝いて、それは美しかった。
「僕らが見つけて拾わなければ母さんは死んでいた。
なのに母さんは、今までずっとここに帰りたいと、親に逢いたいと願っていたんだ」
平坦な印象の少年の顔が歪んだ。
男達の武器にも臆することもない、その表情は湧き上がる憎悪だった。
「僕らはこの村を許さない。
母さんを悲しませたこの村を絶対に許したりしない。
だけど母さんが望むから、今日母さんを帰しに来た」
村長は恐いと思っていた。
心の底から恐ろしかった。
自分の娘が生きていて、しかも海魔の親なのだ。
自分は化物の祖父なのだ。人外の生物の…。
「どうか、これ以上母を悲しませないで欲しい」
海魔の少年は吐き捨てると踵を返した。
そのまま岬の先に帰っていく。
村人は今だ混乱していた。
女性が、息子を追い駆けていく。目には大粒の涙。
「待って!」
直後、女性の目の前に槍が迫った。
少年の硬い鱗を貫いた、混乱しきった村長の紅い槍が。
瞬間、女性の中の何かが壊れてしまった。
元々不安定だったのかもしれない。
彼女は息子の名を何度も何度も叫び、凄い力で槍を引き抜くと、恐ろしい形相で今度は村長を突き刺した。
そしてそのまま村長を岬から投げ飛ばし、自分も海へと飛び込んだ…って話。
本当かどうかは分からないよ。
でも実際に村長が行方不明になって、大型魚のような死体だけが岬に残されたそうだ。
数日後意を決した若い村民が島まで泳いで渡ったそうだけど、そこには今と同じ狭い孤島があっただけだった。
以来この岬の名は幻の海魔の少年から…キリヤ岬となったわけ。
続
2006/03/22//Wed.
あそこに住んでいる人達は、おれたち陸地の人間から「海魔(かいま)」って呼ばれていたんだ。
こっちは海に面したところが崖だらけで、昔は今みたいに港が整備されてなかったから、この村や隣りの村も海には出られなかった。
だから海は落ちると死ぬ、恐ろしいところでしかなかったんだよ。
そこに普通に住んでいるんだから、陸地の人間には魔物か何かだと思われたんだな。
それに彼らにはもっと魔物らしい特徴があったんだ。それはね…鱗と鰓だよ。
それに水掻き。
そう、丁度魚みたいだったんだって。
研究者の間では、水中で多くの時間を過ごす種族だったから、そんな風に進化したんだって言われているけど、実際のところどうなのかは分からない。
とにかく、陸地の人々は彼らの異形を見るほどに不快感を募らせていた。
ユカちゃんもあるだろう?
深海魚とかジャングルの虫とか見て、気持ち悪いとか触りたくないとか、そういう気持ち。そんな感じさ。
まあ、それまでは互いに接点も無かったわけだし、そんな状態でも問題無かったんだ。
…でも、こんなに近くに住んでいるんだ、過去に一度だけ事件が起きた。
そしてそれが原因で、海魔はあそこの島からいなくなった。
昔々、江戸幕府よりも室町幕府よりももっと昔、この村は大凶作に襲われた。
潮風が吹くこの村は、ただでさえ食べ物が取れなかったのに、その年は雨が降らなくて、芋も満足に収穫できなかった。
村の人は困り果ててしまった。
出来るだけ多くの人に分け与えたい、でも絶対的に芋が足りない…。
生活の苦しい村の人々に悩んでいる暇は無かった。
多くの人が生き残るには一つの方法しか残されていなかったんだよ。
何だと思う?……良い方法とは言えないけどね、働けないおじいさんおばあさんや子供達を、海に放り捨てたんだ。
人が少なくなれば、一人が食べられる量も増えるだろう。
村民は泣く泣く自分の親や子供を投げ捨てた。
そうやってこの村は生き延びた。
次の年は打って変わって沢山の芋が取れた。
村民は余った芋を売り、米やお金にして他の村と取引をしていくようになったんだって。
村の人々は生活が豊かになるに連れ、貧乏だった頃の暮らし、過去の事を忘れていったんだね。
勿論、捨てられた村民のことなんて思いだしもしなかったんだよ。
数十年もの時が過ぎた。
すっかりリッチになって村民も増える一方だったこの村に、因果応報というか、かつてのツケが返って来てしまった。
続
2006/03/22//Wed.
ある年の盆の里帰りでの事だった。
おじさんおばさんたちが宴会をしている席で、まだ小学生だった私は酷く退屈だった。
大人は思い出話や世間話で楽しそうだけど、同世代の従兄弟がいない私は毎年この集まりが嫌で嫌で仕方が無かったのだった。
その晩、私は酔っ払っている父母の目を盗んで、おおおじ大伯父さんの家を抜け出した。
田舎の夜空はびっしりと星で埋め尽くされていて、夜の冒険に心が踊った。
少し駆け足になりながら、キリヤ岬に歩いて行った。
キリヤ岬は観光客を呼ぶほど立派ではないけれど、時々散歩に行きたいと思えるようなちょっとした魅力のある所だった。
高いところに位置していて、広い海と村全体が満遍なく見渡せるのだ。
真昼に見る光景はまるで金粉をまぶしたように、どれもこれも輝いて見えた。
私は特にここが大好きで、帰ってくると必ず寄っていたが、夜に行くのはその日が初めてだった。
岬へ続く坂を駆けて行った。
小石が多く躓きやすいので注意が必要だが、毎年来ているのだ、悪路も慣れたものだった。
今夜はこの岬から見える景色全てが私のものだ。
そう思うと自然と嬉しくなり、どんどん加速していく。
岬の先っぽに着くと、そこには先客がいた。
すっかりがっかりしてしまった私は、その人に対し理不尽な怒りさえ覚えた。
食べようと買っておいた美味しいプリンを目の前で食べられてしまった気分だった。
憤怒の思いで近寄ると、相手が気付いて話しかけてきた。
「あれ、ユカちゃん。どうしてここに?」
声を聞いて私ははっとした。
暫く見ない間に雰囲気が変わったしまったが、この男性は良く見知った人だった。
「ケン兄…?」
「そうだよ。久し振りだね」
歳の離れた従兄のケンイチ兄さん。
まだ私が小学校に入る前によく遊び相手をしてくれたのだが、最近は忙しいのか盆休みにも姿を見せなかった。
何年か見ない内に随分痩せたようで、身長が高いのとあいまって奇妙なひょろ長さを体現していた。
しばらく二人で星を見ながら話をした。
昔の事、学校の事、父母の事、友達の事、好きなテレビ番組の事…。
ケン兄は昔と同じ笑顔と優しさで、丁寧に話を聞いてくれた。
時間がいつもよりゆっくりゆっくり流れていくように感じた。
ケン兄の相槌が、とても心地よかった。
私が一通り話し終えて一息ついたところで、ケン兄が意地悪げな笑顔をして、「じゃあ、おれが話しても良いかな?」と切り出した。
それまで私ばかりが話していた感じがあったので、ぜひケン兄の話も聞きたい。素直に頷いた。
「あそこに島があるだろう?」
不意にケン兄はその鋭い人差し指を海の方に向けた。
今は闇の中で見えにくいが、確かにその方向には小さな島があった。
「うん、無人島だよね」
「そう、でもあそこには昔人が住んでいたって伝承があるんだ」
「え、人が?」
その島にも一度行った事があったが、面積が狭すぎて、とても人の住める土地ではなかったと思うけれど…。
「おれは今、そういう各地の伝承を研究しているんだ。
この村にも幾つか伝承があるんだけど、これはその中の一つ。
あそこの島には島民がいたんだけど、その島民は少し普通の人と違っていたんだって……」
伝承があるなんて全然知らなかった。
大伯父さんも小伯母さんもおばあちゃんだって教えてくれなかった。
私は自然、ケン兄の語る物語に引き込まれていった…。
続